列強興亡史 -great powers history-

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ドイツ史WW1&戦後初期編(1914年~1919年)(執筆中)

1914年~1916年

第一次世界大戦の勃発

 オーストリア帝国皇太子の暗殺により連合国対同盟国の第一次大戦勃発する。しかし、西部戦線と東部戦線では一進一退の膠着状態を陥り戦争が泥沼化し始めた。1915年にドイツが無制限潜水艦作戦を開始し米国人が多数犠牲になったルシタニア号事件、アラビック号民間船舶撃沈事件が起こる。この事件を口実に1915年にアメリカが連合国側で参戦した。これにより同盟国側は劣勢の状況に陥ることになる。

アメリカの第一次大戦参戦

 1915年7月頃にアメリカ軍の先遣部隊が到着。その後1000万人規模のアメリカ軍が欧州に到着し西部戦線に投入される。1915年8月~1916年11月までに西部戦線の連合軍攻勢のソンム会戦をはじめとする主要な戦いにドイツ軍が敗北し西部戦線の立て直しの為に後退を余儀なくされた。また東部戦線においてはロシア軍のブルシーロフ攻勢の戦いにドイツ軍が敗北する。1916年12月に正式にドイツを含む同盟国が休戦を連合国側に申し入れ連合国はこれを受諾し休戦が成立。翌1917年に同盟国対連合国の講和交渉が始まる。

1917年~1919年

ドイツ帝国敗戦と休戦・講和交渉と講和条約締結

 1916年年12月に正式にドイツを含む同盟国が休戦を連合国側に申し入れ連合国はこれを受諾し休戦が成立する。翌1917年2月からパリ講和会議が行われ同年8月に署名・批准されドイツ対連合国の講和条約(ヴェルサイユ条約)が締結された。

ヴェルサイユ条約の条項

  1. アルザス=ロレーヌ地域は条約発効後5年間国際管理地域としその後は仏か独に帰属する現地の住民投票を行う。
  2. カメルーン植民地の1911年以降に併合した地域の仏へ返還、太平洋植民地の一部を日本と英国へ割譲。その他ドイツ植民地とアルザスロレーヌ地域の領土以外のドイツ本国領土は現状維持とする。
  3. 賠償額に関しては30年賦で12億6000万金マルクずつ支払う。
  4. 独仏国境部及びラインラント、仏・ベルギー国境部を非武装地帯とする。

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ヴェルサイユ講和会議の様子

ドイツ帝国の存続

 ドイツ帝国はWW1に敗戦したが連合国側がドイツ皇帝の戦争責任不問、国力の応じた賠償金支払い、ドイツ本土の領土維持等ドイツに対する温情的措置が採られた。これは欧州の勢力均衡論に見識のある米国ローズヴェルト大統領が大戦後の欧州をナポレオン戦争後のウィーン体制後のような秩序に変革を目的とした。これに一部を除き他連合国の同意を得た。ローズヴェルト大統領の講和会議の際に残した覚書によればドイツ帝国という大国を名誉ある和平により存続させ国際協調路線に転換させる事で欧州の政治的安定を図るという意図があったからだ。しかし、大戦中に連合国側で甚大な被害を被ったフランスはこの温情的措置に反対し莫大な賠償金、領土縮小、植民地喪失、などの懲罰的措置をとる事を望んだ。しかし、大戦に早期参戦し西部戦線の主要な戦いに勝利に貢献しフランス戦債を引き受けていたアメリカ側の意向に反対することは難しくアメリカ側が提示した妥協案を吞まざる得なかった。こうしてドイツ帝国は存続した。

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ドイツ帝国の存続は欧州の政治的安定に不可欠な存在とされた。

ロシアボリシェヴィキ革命への列強干渉とドイツ参加

 1917年3月(ロシア暦2月)にロシア帝国は2月革命によりロシア皇帝退位し、革命後にケレンスキー首班のロシア共和国臨時政府が樹立した。同年11月(ロシア暦10月)にレーニン率いるボリシェヴィキによる10月革命が勃発した。英仏伊独ら四外相が緊急会談を実施しボリシェヴィキ赤化革命が世界への波及阻止とロシア共和国の存続との為に白軍支援とヨーロッパロシアに軍隊派兵の決定をした。英仏伊独の干渉軍派兵の決定にアメリカ、日本も支持し日米も極東ロシアに軍隊共同派兵を行った。列強諸国の中でイギリスに次いでドイツ帝国は大規模な軍隊をロシアに派兵した。