列強興亡史 -great powers history-

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ロシア史内戦編③(1917年~1920年)(執筆中)

1919年1月~1919年12月

臨時政府・白軍側動向

ヨーロッパロシアの第二次攻勢作戦

 1919年4月に北西軍、南部軍、西部の列強民族派連合軍は一斉に第二次攻勢作戦を開始した。北西軍は南進し1919年7月には赤軍をペテルブルクまで追い込み完全に包囲殲滅した。南部軍はドニエプル川を越えて進撃しコーカサスから進軍してきた南ロシアの列強軍と共同で1919年4月から10月にかけてウクライナ東部の主要都市とツァリツィーンを制圧した。

 西部連合軍は北西部のクールラント、リヴォニアにて赤軍と戦闘に勝利し1919年8月にこれら全土を制圧した。バルト三国地域を占領した西部連合軍は北西軍と共同しペテルブルグを完全包囲した後赤軍を掃討した。

シベリア軍の第二次攻勢作戦

 1919年2月に日米軍から支援されたコルチャーク提督総司令の白軍がオムスクに到達した。1919年4月にシベリア連合軍は中央アジアとウラル地方に向かう軍団に二手に分かれた。ウラルではシベリア鉄道に沿って進軍をし時々赤軍との戦闘に遭遇したがこれを全て撃退しウラル地域を超えて1919年10月にヨーロッパロシアに到達した。一方の中央アジアの軍団は中央アジアの独立勢力とイランから進軍してきたイギリス軍と共同で赤軍勢力を一掃し1919年8月には完全制圧を果たした。

ボリシェヴィキ赤軍側動向

ヨーロッパロシアの赤軍

 北西部とバルト三国を失いさらには仮首都ペテルブルグが陥落し劣勢に追い込まれた赤軍ボリシェヴィキは首都機能及び赤軍の拠点をモスクワに移動した。レーニン暗殺後のボリシェヴィキ内部の内紛、そして戦時共産主義に基づいて秘密警察チェーカーが農民からの穀物強制徴発や過激な反革命運動の摘発で当初ボリシェヴィキに支持していた農民・労働者から反発を呼び遂にボリシェヴィキ支配地域で反乱が頻発するようになった。その上、ヨーロッパロシアにおける赤軍の各地の主要な戦いの敗北でボリシェヴィキ赤軍する事が確定的である事は明白であった。

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モスクワに白軍が迫る中で徹底抗戦の呼びかけの演説するトロツキー
シベリア・中央アジア赤軍

 1919年4月に日米軍に支援されたコルチャーク提督のシベリア軍の一部が中央アジアに北部から侵攻しイラン及びアフガンからイギリス軍が南部から侵攻しさらに中央アジアの独立勢力軍が蜂起した事で中央アジアボリシェヴィキは各地で敗戦を重ねた。そして1919年8月に中央アジアボリシェヴィキ赤軍は掃討された。

1920年1月~1920年3月

ロシア内戦の終結

臨時政府・白軍側の第三次攻勢作戦とボリシェヴィキ壊滅

 白軍は列強軍及び民族独立軍の協力により極東部、シベリア全域、中央アジアボリシェヴィキ赤軍に完全掃討に成功した。1920年1月に白軍列強連合軍による第三次攻勢作戦が開始されヨーロッパロシアの東部からシベリア白軍がウラル地方から軍勢が迫り、ヨーロッパロシア西部及び南部からは北西部南部白軍及び英米仏独伊連合軍が迫りつつあった。そして1920年3月にモスクワが陥落とボリシェヴィキ赤軍の全面降伏によりロシア内戦は終結した。