ロシア史WW1編(1914年~1917年)(執筆中)
1914年~1917年(大戦期)
第一次世界大戦参戦
ロシア帝国は1914年にWW1が勃発すると連合国側で参戦した。それに伴い東部戦線が形成されドイツ帝国軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍と戦闘が始まった。コーカサス地方ではオスマン帝国軍と戦闘となりコーカサス戦線が形成された。しかし、東部戦線とコーカサス戦線では両軍共に一進一退となり膠着状態が続いた。しかし、1915年にアメリカが連合国側で参戦した事で形勢が連合国側に有利に傾き、1916年の連合国攻勢にて東部戦線ではプルシーロフ攻勢にてロシア帝国軍が勝利した。そして1916年末に連合国と同盟国との休戦協定成立した。
1917年の講和会議と2月革命(ロシア暦)
翌1917年3月に連合国対同盟国の講和会議が始まった。しかし、会議の途中にロシア帝国で二月革命(ロシア暦)が起きロシア皇帝ニコライ二世が退位しケレンスキー首班のロシア共和国臨時政府が樹立された。講和会議ではロシアはロシア帝国の後継国家であるロシア共和国政府と改めて会議に参加した。そして1917年6月に連合国対各同盟国講和条約が締結された。これによりロシアは戦前に連合国間で交わされた協定通り広大な領土を獲得した。以下はロシアが獲得した領土及び権益である。
連合国対ドイツ帝国講和条約(ヴェルサイユ条約)
- ドイツ帝国からロシアへの賠償金支払い
- 1914年以前の独露国境線の維持
連合国対墺洪帝国講和条約(サンジェルマン条約)
- ガリチアロドメリア地域のロシアへの割譲
- 墺洪帝国からロシアへの賠償金支払い
連合国対オスマン帝国講和条約(セーブル条約)
講和会議中に二月革命(ロシア暦)による皇帝退位から解るようにロシア共和国は政情不安が続いていた。だが上記の領土及び権益の獲得により政情不安であったロシアは国威発揚により一時的な政治的安定が訪れた。しかし、皇帝退位後も依然農村部では旧態依然で貧農は食料不足に悩み、都市部の労働者は食料品や生活必需品の物資不足に悩まされた。こういった背景もありゼネストや農民反乱が相次ぎこれに賛同するロシア共和国軍の兵士が軍から離反し始めた。これが後のロシア内戦への遠因となった。
そしてついに1917年11月に十月革命(ロシア暦)は勃発し密かに帰国していたレーニン率いるボリシェヴィキが臨時政府主要庁舎を制圧し憲法制定会議を解散させた。これに反発した旧ロシア帝国軍将校らによる反革命運動が起こりついにロシア内戦が勃発した。