列強興亡史 -great powers history-

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世界概史【WW1期前後編1912年~1919年】

1912年~1919年

 1912年のアメリカ大統領選で共和党の統一候補としてセオドア・ローズヴェルトが出馬し、民主党候補ウィルソンに圧倒的大差で大統領選を勝利で制した。1914年にWW1が始まるとローズヴェルトは協商国側への支援を表明する。米国は1915年にWW1に協商国側で正式参戦し約1000万人からなるアメリカ遠征軍を1915年末に西部戦線に投入する。

 オーストリア皇太子の暗殺により第一次大戦勃発。1914年7月戦争がはじまり、西部戦線では1915年末まで膠着状態となり東部戦線では同盟国優位であるがロシア帝国を屈服させるまでにはいかない。

 1915年にドイツが無制限Uボート作戦を開始し米国人が多数犠牲になったルシタニア号事件、アラビック号事件が起こる。1915年の米の参戦により協商対同盟の膠着状態が協商有利に傾く。同年8月にファンストン総司令の米遠征軍先遣部隊が到着。1916年の連合軍の攻勢のソンム会戦に米軍参加によりドイツ側が敗北し後退を強いることになる。また東部のブルシーロフ攻勢の敗北とソンム敗北をきっかけにドイツは水面下での休戦交渉に傾くことになる。

 同年12月下旬、正式にドイツを含む同盟国が休戦を連合国側に申し入れ連合国はこれを受諾し休戦が成立。翌1917年3月に講和交渉開始。ロシア暦二月(西暦1917年3月)に二月革命により皇帝が退位。ロシア共和国臨時政府が樹立し旧ロシア帝国の後継国家として引き続き講和会議に参加する。同年9月に各講和条約が成立する。講和会議開催と共に旧連合国を中心となって国際連盟が創設される。

 10年代は労働者によるゼネストが頻発し労働運動が活発となった。第一次大戦後に発生したロシア革命ではマルクス主義(全体社会主義)に基づいたレーニンボリシェヴィキが反乱を起こしこれは世界に衝撃を与えた。この影響は世界に広まり、世界各地では労働者によるゼネスト・騒乱が相次いだ。しかし、列強による介入とロシア臨時政府・白軍側がロシア内戦に勝利したことで全体社会主義思想は誤りであるとの認識が広がり、労働運動の主軸は直接行動に基づく労働組合主義または社会民主主義へと移り変わった。